「若狭なる 三方の海の 浜清み い行き還らひ 見れど飽かぬかも」(万葉集)
日本海に面する福井県の若狭町(わかさちょう)と美浜町(みはまちょう)にまたがって5つの湖があり、総称として「三方五湖(みかたごこ)」と呼ばれています。
三方五湖は、すべて水路で繋がっており南に位置する最大水深約5.8mの淡水の水質を持つ「三方湖(みかたこ)」、面積が最小の最大水深約13mで海水と淡水とが混じり合う汽水の「菅湖(すがこ)」、魚の種類が多い最大水深約2.5mで汽水の「久々子湖(くぐしこ)」、塩分濃度が高い最大水深約38.5mで海水の「日向湖(ひるがこ)」、そして面積が最大で最大水深約34mで汽水の「水月湖(すいげつこ)」とそれぞれ性質が異なる5つの湖から成り立ち、水質の違いから水の色が微妙に異なるので「五色の湖」とも言われます。
三方五湖の一つ、水月湖(Lake Suigetsu)の湖底には厚さ約45mの泥の層に約7万年の歳月をかけて年輪のように積み重なった縞模様の堆積物である「年縞(ねんこう)」(varve)が形成されています。
平均0.7mmの明暗の層一対が1年に相当し、7万1231±2097年前の地殻変動によって形成され始めてから今現在までの約7万年分の連続した層が約45m続いているのが水月湖の年縞です。
この年縞を一つ一つ解析することで、その当時の気温・水温などの自然環境や植物の種類などを知ることができ、また火山や地震・津波と言った自然災害もこの年縞によって読み解くことができます。
今から4万3713±300年前には、富士山の前身である古富士山が噴火した形跡が火山灰の堆積として年縞に残り、花粉などを分析することで2万~1万8000年前頃が過去7万年で最も寒い時代だったことが分かっています。
このように地球の歩んだ約7万年分の膨大な記録を、水月湖の年縞は途切れることない美しい幾多の層として今を生きる人類へともたらしました。
年縞が形成される条件がいくつかあり、まずは大きな3つの条件があげられます。
1.風や波で水がかき乱されない。
2.比重の高い水が溜まっていて無酸素状態。
3.湖底付近で生物が生きられないため、生物によって湖底がかき乱されない。
水月湖以外にも網走湖(北海道)・一ノ目潟(秋田県)・小川原湖(青森県)などや、コルッタヤルビ湖(フィンランド)・死海(イスラエル)などと世界にいくつか存在しますが、現時点で約7万年分の年縞が現代まで途切れること無く連続して形成されているのは水月湖だけになります。
2012年に、北半球の暦年代を特定する国際標準のものさしと言える「IntCal」(イントカル)に水月湖の研究データが採用され、2013年にIntCal13としてIntCal09が更新されたことで、5730年ごとに半分の量になる放射性同位体(炭素14)をもとにした「放射性炭素年代測定」(C14年代測定)が、これまでの信頼性の乏しい曖昧な誤差をほぼ無くした約5万年まで適用可能となり、1万年前で誤差102年、4万年前でも誤差145年と言うより正確な年代測定ができるようになりました。
2020年にはIntCal20として更新され、中国の葫芦洞(Hulu Cave)の石筍(せきじゅん)のデータや日本産樹木年輪のデータなどが新たに加わったことで、年代測定の正確性が更に増し測定限界が約5万5000年まで拡張されることになりました。
IntCal20を活用することで、ネアンデルタール人がいつ絶滅しホモ・サピエンスがいつヨーロッパへ拡散したかが突き止められるようになるなど、さまざまな分野で新たな発見や謎が解明がされていくことになります。
日本古代史において最大の謎と言える邪馬台国と卑弥呼についても、近い将来に驚きの事実が明らかにされるのかもしれません。
三方五湖の一つ、三方湖に近い地に「福井県年縞博物館」が2018年に建てられました。
館内では、光が透過する200µmほどの薄さまで研ぎ上げた約45m・約7万年分の年縞のステンドグラスが展示され、実際に年縞を見ることで地球の環境と出来事を遡ることができます。
なぜ水月湖の年縞ができたのか、世界標準の年代ものさしへの採用の軌跡、現代までの約7万年間の自然環境の変化などを分かりやすく学ぶことができます。
福井県年縞博物館の向かい側に建ち、水月湖の年縞発見のきっかけとなった「鳥浜貝塚」の縄文文化を伝える「若狭三方縄文博物館(DOKIDOKI館)」では、展示されている縄文土器のプレートに水月湖の年縞によって改められた年代と訂正前の年代があわせて表記されておりこの年代の大きなズレが、いかに水月湖の年縞が以前の年代測定のものさしに影響を与えたかが分かります。
細かな砂に透き通る青い海を持つ敦賀半島の西側の砂浜「水晶浜」では、三方五湖およびその周辺を含めた「若狭湾国定公園」の一部である複雑なリアス式海岸を持つ「常神半島(つねがみはんとう)」を遠くに見ることができ、近い風景として美浜発電所のドーム状の建物も視界に入ります。
何処までもと人類が求めた科学とその功罪、地球の誕生から約46億年と欠けること無く現代まで積み重ねられた約7万年分の記憶、賑やかな夏が終わり仄かに寂しげな風が吹く砂浜で、絶え間なく打ち寄せる波音をいつまでも聴いていることができます。
写真・文 / ミゾグチ ジュン