「人魂の さ青なる君が ただひとり 逢へりし雨夜の 葉非左し思ほゆ【人魂乃 佐青有公之 但独 相有之雨夜乃 葉非左思所念】」(万葉集)
時折、雨が降る日に森を彷徨いたくなります。
薄暗い林道を歩いていると聞こえてくる「雨の音」、木々の葉や落ち葉の積もる地面、そして手にする傘に落ちる雨粒を聞きながら、人魂のようにふらふらと漂いながら森の奥へ奥へと導かれていきます。
次第に細雨になって、薄くなった雲からぼんやりと太陽が感じられるようになると、辺りから「大地の臭い(Geosmin)」とも呼ばれる鼻の奥がツンとする「雨の匂い」が、もぁっと立ちこめてきます。
雨上がりの「雨の匂い」は、土中のバクテリアが生み出したカビ臭い有機化合物の一種で決して良い匂いとは言えませんが、大地が生きている証のように感じます。
「木綿懸けて 斎ふこの社 越えぬべく 思ほゆるかも 恋の繁きに【木綿懸而 齊此神社 可超 所念可毛 戀之繁尓】」(万葉集)
山に宿る神の総称が「山の神」で、そのほとんどが女神と言われています。
春に山から里に下りた豊作をもたらす「山の神」が、田んぼに映った自分の容姿に愕然として社(神社)に閉じこもってしまい、村の人々は「オニオコゼ」や「ミノカサゴ」を捧げ物として奉納しました。
このことで、地域によっては「オニオコゼ」や「ミノカサゴ」のことを「ヤマノカミ(山の神)」とも呼んでいます。
「雨やまぬ のきの玉水 かすしらす 恋しき事の まさるころかな」(平兼盛「後撰和歌集」)
雨の降り始めの「雨の匂い」は、「石のエッセンス(Petrichor)」とも呼ばれており「大地の臭い」とは違い、雨粒が土や葉に衝突した際に小さな飛沫となり植物が発した発揮性の油分をが取り込み発散することで独特な匂いを発します。
古代ギリシアの哲学者「アリストテレス(Aristotelēs)」(前384年 – 前322年)はこれらの「雨の匂い」を「虹の匂い」と呼んだと伝えられています。
そして、樹木が主に発する「森の匂い(Phytoncide)」は細菌や微生物にとっては殺菌性を持つ毒素となりますが、人間にとっては逆に有益で癒やし効果が期待でき、この「森の匂い」を全身に浴びることで心身の健康を図る「森林セラピー(森林浴)」が世界で広く親しまれています。
雨に濡れた深緑の森の木々に導かれて、さらに奥深く入り込むと、それらの甘美で残酷なニオイで徐々に強く抱擁されていき、危うく「山の神」に魅入られてしまいそうになります。
写真・文 / ミゾグチ ジュン