
「三輪山を 志かも隠すか 雲だにも こころあらなむ 隠さふべしや」(額田王)
『古事記』と『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろだけ)と記され、蛇神・大物主(おおものぬし)大神が鎮まる標高467mの『三輪山(みわやま)』。
三輪山に生える一木一草に神が宿っており、山全体が御神体となっています。

『大神神社(おおみわじんじゃ)』は本殿を設けず、拝殿から三輪山を御神体として仰ぎ見る原始神道の形態を持っている日本最古の神社と呼ばれています。
その境内にある『大美和の杜展望台』には、ソメイヨシノやシダレザクラが咲き誇り、その桜の木々の間から遠くにそびえる『大鳥居』を見ることができます。

「爰倭迹々姫命、仰見而悔之急居〈急居、此云菟岐于〉、則箸撞陰而薨。」
『箸墓古墳(はしはかこふん)』は『倭迹迹日百襲姫命』(やまとととひももそひめのみこと)の墓(※別人の倭迹迹姫命ではないかとも言われる)で、三輪山の蛇神・大物主と神婚し妻となった皇族であり巫女でした。
夫である大物主は夜にしか現れないため、日の昇る朝に姿を見たいと願った姫命に、大物主は櫛笥(くしげ:化粧道具箱)の中に美しい小さな蛇の姿で現れました。その姿に驚き叫んだ姫命に、大物主は恥じて大空を駆けて三輪山へ還ります。そのことを悔いた姫命が腰を落とした際に箸が陰部を突いて亡くなります。

「故時人號其墓謂箸墓也。是墓者、日也人作、夜也神作。」
日本書紀に『昼は人が造り、夜は神が造った』と記されている『箸墓古墳』は、卑弥呼の墓では?..とも言われています。
はたして卑弥呼=倭迹々日百襲姫命なのか、それよりも畿内なのか九州なのか…自由な立ち入りができない箸墓古墳の周りを巡って思いをはせることしかできません。

「大和三輪素麺名物也、細きこと糸の如く白きこと雪の如し、茹でて太らず余国より出ずる素麺の及ぶところにあらず」(日本山海名物図会:1754年)
約1200年前、大神神社の大神主の子息・『穀主』(たねぬし)が、飢饉と疫病に苦しむ民の救済を祈願し、その啓示から三輪の地が小麦の栽培に適していることを知り、三輪山の麓の小麦と霊水を原料に『三輪そうめん』は誕生しました。
大神神社から三輪山を拝み、そうめんの歴史を知ったの後に食する『三輪そうめん』の細い一本一本に力強い生命(コシ)を感じます。





写真・文 / ミゾグチ ジュン