明治維新後の『秩禄処分』により生活に困窮した旧萩藩士を救済し、後の主要な産業となり萩の経済を支えることになった本来の名称を『夏橙(ナツダイダイ)』と言う、萩の特産物『夏みかん(夏蜜柑)』。
1587年に、若狭国を豊臣秀吉より与えられ小浜城8万石の城主となった『浅野長政』は、熊川の地を軍事と交通の重要拠点として認め、1589年に夫役・軍役や本年貢以外の租税を免除した『諸役免除』の判物を熊川の地に与えたことで宿場町として発展した『熊川宿』。
水戸藩9代当主『徳川斉昭』によって、中国の古典「孟子」の「古之人與民偕樂、故能樂也」から、「衆と偕に楽しむ」と想いを込められ1842年に開園された日本三名園の一つ『偕楽園』。
『古事記』と『日本書紀』には、御諸山、 美和山、三諸岳と記され、蛇神・大物主大神が鎮まる標高467mの『三輪山』。
三輪山に生える一木一草に神が宿っており、山全体が御神体となっています。
京都・嵯峨で生まれ、第100代天皇・後小松天皇の落胤と伝えられる室町時代の僧『一休宗純』。
6歳で京都の『臨済宗 安国寺』にて出家し『周建』と名付けられ、15歳の頃には詩人として洛中で評判となりました。17歳で西金寺に入り謙翁宗為に師事し戒名を『宗純』と改めます。
愛媛県の南部、狭い湾が複雑に入り込んだリアス式の海岸線を持つ「宇和海」に面した西海半島の北西部に位置し、ひな壇状に石垣を積んだ集落で現在では「石垣の里」とも呼ばれる『外泊』。
まだすべての雪が溶け切らない頃、新たな生命が芽吹き始めた『戸隠神社』・奥社への参道。
江戸時代に徳川家康より朱印高千石を拝領され、1612年頃から参道や境内に植樹された杉は樹齢400年にもなり、500mほど続くその威風堂々たる杉並木は参詣者に対して荘厳な景色を魅せてくれます。