陸上植物が地球上に出現したのは約4億7000万年前だと言われています。
それから過酷な地球環境の変化に対応しながら、胞子によって子孫を残すシダ植物、そして種子で子孫を残すようになり胚珠がむき出しの裸子植物と花を咲かせる被子植物とが長い進化の過程で現れてきます。
ある町に流れる小さな川に架かる橋、ときおり橋を渡る人がその橋の半ばほどでふと足を止めて辺りを見渡す場面に幾度か出くわします。
正月7日に七草粥を食べる習慣で知られる春の七草。
「せり なづな 五形 はこべら 仏の座 すずな すずしろ これぞ七草」と南北朝時代の四辻左大臣が詠んだ春の七草が主に食用であるのに対し、秋の七草は鑑賞が中心です。
彼岸は二十四節気である春分の日・秋分の日を中心として前後3日間、それぞれ7日間のことをいいます。寒さが和らいでくるのは春分の頃、暑さが抜けて涼しくなってくるのは秋分の頃。彼岸は季節の移ろいの目安となるのです。
明治維新後の『秩禄処分』により生活に困窮した旧萩藩士を救済し、後の主要な産業となり萩の経済を支えることになった本来の名称を『夏橙(ナツダイダイ)』と言う、萩の特産物『夏みかん(夏蜜柑)』。
太平洋からの波による浸食で海食崖に形成された高さ約5m・幅は4mほどの広さで、全長は約40mの天然の「海蝕洞」である『伊尾木洞』。
『伊尾木洞』の壁は、かつての土佐湾に生息した貝などを含んだ砂や泥からなる地層です。
「菅笠」が三つ重なった形をしていることから別名『三笠山』とも呼ばれ、標高342m・面積33haの一面を芝に覆われた『若草山』。
『若草山』を覆うイネ科シバ属の『ノシバ(野芝)』は、その周辺の「固有種」であり餌付けされていない野生の『奈良の鹿』と1000年以上の時を一緒に歩むことで、もう互いに離れられない関係を築いてきました。
標高1038mの『倶留尊山』と、亀の背に似た標高849mの『亀山』を結ぶ西斜面から麓に広がる標高700m・約38haの『曽爾高原』。
『曽爾高原』では、陽を浴び銀色に輝くススキが風に吹かれ草原に揺らぎ、夕刻には夕日を浴び黄金色に輝き日中とは違った景観を楽しむことができます。
太平洋に突き出す足摺半島、標高433mの『白皇山 』を中心に花崗岩大地が隆起と沈降を繰り返してでき、一帯は三段の海成段丘が発達した高さ80mほどの海食崖をなす四国最南端の岬である『足摺岬』。