秋の七草
正月7日に七草粥を食べる習慣で知られる春の七草。「せり なづな 五形 はこべら 仏の座 すずな すずしろ これぞ七草」と南北朝時代の歌人・四辻左大臣が詠んだ春の七草が主に食用であるのに対し、秋の七草は鑑賞が中心です。
秋の七草は奈良時代の歌人・山上憶良が詠んだ『万葉集 巻八』の二首に因むとされています。漢名や万葉仮名が使われており、現在の表記とは異なります。
「秋の野に 咲きたる花を指折り かき数ふれば七種の花」
「芽の花 乎花葛花 瞿麦の花 姫部志 又藤袴 朝㒵の花」
秋の到来を教えてくれる秋の七草の花の名はすべて俳句の季語にもなっています。
ひっそりと野に咲く花々に心を寄せ、季節の移ろいを愛しむ日本人…。平安時代の貴族たちも秋の七草が咲く野辺を歩いて歌を詠み、物語などの古典文学にも登場させています。たおやかな野の花を人になぞらえ、心を託して語られる情景には、そこはかとなく秋の風情が漂ってきます。
*
芽(萩)
芽と書いてハギと読みますが、ハギの語源は毎年古い株から芽を出すからだそう。「萩」の字は、平安時代に編纂された漢和辞書『和名抄』によると、秋を象徴する花であることから「秋」に草冠を付けた国字になったと記されています。秋の草花の代表格である萩は『万葉集』の中で最も多く詠まれた花でした。
*
乎花(尾花)
尾花はススキの別名で、ススキは薄や芒とも表されます。尾花はススキが花になった時の名前。ススキは茎の先端に赤い穂を付け、種子には白い毛が生えます。
ススキは神の依代とされ収穫の儀式やお守りとしても用いられてきました。また、かつては屋根を葺く材料にも使われていました。
『万葉集』巻一の七に飛鳥時代の歌人・額田王が詠んだ歌があり、その様子をうかがい知ることができます。
「秋の野の 美草刈り葺き宿れりし 宇治の京の仮廬し思ほゆ」
ここでいう美草とはススキのこと。この歌は額田王がかつて訪れた宇治の仮宿を懐かしんで詠んだものだと解説されています。
*
葛花
秋の七草は主に鑑賞用といわれますが、花はさておき葛に関していえば、その根からでんぷん質の葛粉が作られ、食用や薬の原料として重宝されてきました。
葛の語源は奈良県吉野地方の「国栖」の地名に由来。今も親しまれる「吉野葛」の名産地です。また、弦の芯から葛布と呼ばれる生地も作られ、蹴鞠の袴「葛袴」としても用いられました。平安時代から鎌倉時代にかけて生きた公卿・九條兼実の日記『玉葉』や、室町時代に花山院忠定が記した有職故実『物具装束抄』などには、実用としての葛袴に関する記述が見受けられます。
*
瞿麦(撫子)
瞿麦とは中国原産のセキチクのこと。種子が麦に似ていることから付けられた名前だそう。中国渡来のセキチクをカラナデシコと呼ぶのに対し、日本原産のカワラナデシコはヤマトナデシコと呼ばれます。
五弁の花の先が糸のように裂けている撫子は繊細な姿をして美しく、日本女性を大和撫子と呼ぶ由縁になっています。
平安時代の和泉式部が記した日記文学『和泉式部日記』には
「あな恋し 今も見てしか 山がつの垣ほに咲ける やまとなでしこ」といった狂おしい恋の一文が…。恋人からの文にしたためられていたものですが、愛しい和泉式部を大和撫子と表現しているのです。
*
姫部志(女郎花)
現在では女郎花と表記される女郎花は、『万葉集』の歌では「乎美奈幣之」「姫部志」「姫部思」「佳人部為」など様々です。「女郎花」と表記されるようになったのは平安時代からのようです。
『源氏物語 』夕霧の巻では
「女郎花 しほるゝ野辺をいづことて 一夜ばかりの宿を借りけむ」
総角の巻では
「霧ふかき あしたの原のをみなえし 心をよせて 見る人を見る」
いづれも女郎花を介して秋の匂いが伝わってきます。
*
藤袴
別名を香草といい、古代中国では「蘭草」と呼ばれていました。中国春秋時代の哲学者・孔子は「蘭当為王者香」と称えたそうです。藤袴は乾燥させると芳香を放ち、沐浴や洗髪に珍重されていたといいます。日本でもこの香気は好まれ、衣服などに焚き込めるなどして用いられていました。
中国原産の藤袴は山上憶良が日本へ持ち帰ったと伝わりますが、山上憶良は遣唐使として中国に渡っており、その時に蘭草を沐浴に使う習慣を見て、藤袴に魅入られたのでしょう。
*
朝㒵(朝顔)
『万葉集』に詠まれる朝㒵は、現在の朝顔ではなく桔梗のことであろうといわれています。奈良時代には桔梗を朝顔と称したものの、平安時代になると現在の朝顔が渡来し、桔梗と朝顔は区別するようになったのだそうです。
桔梗には悲しい物語が伝わっており、見るたびにその伝説が胸をよぎります。
平安中期の武将・平将門に関わる「咲かずの桔梗」伝説が関東に残っており、一説には、自分の愛妾・桔梗御前を秀郷の密使と思い込んだ将門が彼女を殺してしまったため、桔梗御前の怨霊が桔梗の花を咲かせないというもの。あるいは関東を制圧した将門が下野の豪族・藤原秀郷らに討たれ、その恨みで桔梗の花を咲かせないというもの。桔梗御前は空想の人物、藤原秀郷の姉などの説があります。
桔梗の花言葉は「永遠の愛」。気品があり楚々とした美しさは、古くから日本人に愛されてきました。また、陰陽師の安倍晴明、美濃国武将の土岐光衡、明智光秀、加藤清正、坂本龍馬などが家紋にしています。
文 / 宮崎 ゆかり