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  • 標高17mの独立丘陵上に築かれた平山城である『丸岡城』。
    1573年の『織田信長』による『朝倉家』滅亡後の動乱の中、1574年に浄土真宗本願寺教団の信徒が引き起こした『一向一揆』の拠点となってしまった天台宗の寺院『豊原寺』は、1575年に越前に侵攻した『織田信長』によって、僧坊が建ち並び『豊原三千坊』と言われた『豊原寺』のすべてが焼き払われてしまいます。

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  • 『金比羅山』の通称を持つ標高524mの『琴平山』と、隣り合う象の頭に似ている標高538mの『象頭山』とを合わせた総称『象頭山』の中腹に鎮座し『こんぴらさん』とも呼ばれ親しまれる『金刀比羅宮』。

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  • 江戸時代の城の中で最も高い標高717mに築かれ、高低差180mの山内の険しい地形を利用した800年余りの歴史を持つ山城『岩村城』。

    鎌倉時代に『遠山景朝』が築き、戦国時代に入り織田・武田の両家の抗争が激しくなってきた頃に本格的に山城として構築されていきます。

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  • 太平洋に突き出す足摺半島、標高433mの『白皇山 』を中心に花崗岩大地が隆起と沈降を繰り返してでき、一帯は三段の海成段丘が発達した高さ80mほどの海食崖をなす四国最南端の岬である『足摺岬』。

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  • 日本海に突き出た、およそ1200万年前に噴出した溶岩が冷えて固まった巨大な輝石安山岩であり『柱状節理』の海食崖で、最大約25mの高さの断崖絶壁を形成し国の天然記念物に指定されている『東尋坊』。

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  • 標高354mの『八幡山』に築かれた山城『郡上八幡城』。

    鎌倉時代の頃から郡上一帯は、標高523mの『篠脇山』に築いた『篠脇城』を居城にした『東氏』が治めていました。

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  • およそ1200万年前に噴出した溶岩が冷えて固まった輝石安山岩でできた丘陵性台地は標高27m、面積は約10.2ヘクタール、周囲2.0キロは海食崖である越前海岸の島の一つ『雄島』。

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  • 標高約495mの『小谷山』一帯の尾根筋や谷筋をそのまま活用し築かれた山城『小谷城』。

    『小谷城』の築城は、『淺井亮政』によって1516年とも1523年とも言われており、山頂に築かれた支城・大嶽とその南方に伸びる尾根筋に構えた本丸・大広間など、そして谷筋に構えられた淺井一族と家臣の屋敷などが『小谷山』に築かれました。

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  • 1587年に、若狭国を豊臣秀吉より与えられ小浜城8万石の城主となった『浅野長政』は、熊川の地を軍事と交通の重要拠点として認め、1589年に夫役・軍役や本年貢以外の租税を免除した『諸役免除』の判物を熊川の地に与えたことで宿場町として発展した『熊川宿』。

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  • 敦賀湾の最奥に面し長さ約1.5km・広さ40万平方メートル、アカマツ(約8000本)を優占にクロマツ(約5000本)など約17000本の樹木が生い茂り、『三保の松原(静岡)』・『虹の松原(佐賀)』と並び称される白砂青松の名勝『気比の松原』。

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  • 標高432mの『高森山』、木曽川から山頂までの高度差約170mの地に築かれた山城『苗木城』。

    鎌倉時代より美濃国恵那郡を中心に『遠山七家』(岩村・明知・苗木・飯羽間・串原・明照・安木)が治め、そのうち苗木の遠山氏が木曽川以北と加茂郡の東部を支配していました。

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  • 1783年8月5日(天明3年7月8日)に、群馬県と長野県にまたがってそびえる標高2568mの『浅間山』が大噴火を起こし、その際に発生した火砕流によって火口から北12km離れた宿場・鎌原村を飲み込んだ『天明の大噴火』。

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  • 5世紀後半~6世紀初頭に『榛名山』の麓に築造され墳丘の長さがおよそ100mある『井出二子山古墳』・『八幡塚古墳』・『薬師塚古墳』の3基の前方後円墳で構成された『保渡田古墳群』。

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  • 水戸藩9代当主『徳川斉昭』によって、中国の古典「孟子」の「古之人與民偕樂、故能樂也」から、「衆と偕に楽しむ」と想いを込められ1842年に開園された日本三名園の一つ『偕楽園』。

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  • 火山灰や砂礫が海底に堆積し凝結した「凝灰岩」で正式名は「流紋岩質溶結凝灰岩」、日本列島のほとんどが海に沈んでいた時代の新生代新第三紀中新世に自然に形成された大谷地域のみで産出される有限の石材である『大谷石』。