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  • 1871年の『廃藩置県』以後の『小諸城』跡地を旧小諸藩士たちが整備し、1926年に造園家『本多静六)』が提案した『小諸公園設計案』を元に、近代的な都市公園として誕生した『小諸城址 懐古園』。

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  • 「菅笠」が三つ重なった形をしていることから別名『三笠山』とも呼ばれ、標高342m・面積33haの一面を芝に覆われた『若草山』。

    『若草山』を覆うイネ科シバ属の『ノシバ(野芝)』は、その周辺の「固有種」であり餌付けされていない野生の『奈良の鹿』と1000年以上の時を一緒に歩むことで、もう互いに離れられない関係を築いてきました。

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  • かつての飛騨河合村と白川村の境に位置する標高1289mの峠であり、年の半分は雪で閉ざされる『天生峠』。

    『天生峠』の一帯はブナの原生林、カツラなどの渓畔林、8種類のカエデやナナカマド、ミズバショウが群生する高層湿原、「春の妖精」と呼ばれるニリンソウ・サンカヨウなどの亜高山帯植物が息づき自然界の美しき深淵の一端を覗き見ることができます。

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  • 標高1038mの『倶留尊山』と、亀の背に似た標高849mの『亀山』を結ぶ西斜面から麓に広がる標高700m・約38haの『曽爾高原』。

    『曽爾高原』では、陽を浴び銀色に輝くススキが風に吹かれ草原に揺らぎ、夕刻には夕日を浴び黄金色に輝き日中とは違った景観を楽しむことができます。

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  • 標高17mの独立丘陵上に築かれた平山城である『丸岡城』。
    1573年の『織田信長』による『朝倉家』滅亡後の動乱の中、1574年に浄土真宗本願寺教団の信徒が引き起こした『一向一揆』の拠点となってしまった天台宗の寺院『豊原寺』は、1575年に越前に侵攻した『織田信長』によって、僧坊が建ち並び『豊原三千坊』と言われた『豊原寺』のすべてが焼き払われてしまいます。

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  • 『金比羅山』の通称を持つ標高524mの『琴平山』と、隣り合う象の頭に似ている標高538mの『象頭山』とを合わせた総称『象頭山』の中腹に鎮座し『こんぴらさん』とも呼ばれ親しまれる『金刀比羅宮』。

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  • 江戸時代の城の中で最も高い標高717mに築かれ、高低差180mの山内の険しい地形を利用した800年余りの歴史を持つ山城『岩村城』。

    鎌倉時代に『遠山景朝』が築き、戦国時代に入り織田・武田の両家の抗争が激しくなってきた頃に本格的に山城として構築されていきます。

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  • 太平洋に突き出す足摺半島、標高433mの『白皇山 』を中心に花崗岩大地が隆起と沈降を繰り返してでき、一帯は三段の海成段丘が発達した高さ80mほどの海食崖をなす四国最南端の岬である『足摺岬』。

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  • 日本海に突き出た、およそ1200万年前に噴出した溶岩が冷えて固まった巨大な輝石安山岩であり『柱状節理』の海食崖で、最大約25mの高さの断崖絶壁を形成し国の天然記念物に指定されている『東尋坊』。

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  • 標高354mの『八幡山』に築かれた山城『郡上八幡城』。

    鎌倉時代の頃から郡上一帯は、標高523mの『篠脇山』に築いた『篠脇城』を居城にした『東氏』が治めていました。

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  • およそ1200万年前に噴出した溶岩が冷えて固まった輝石安山岩でできた丘陵性台地は標高27m、面積は約10.2ヘクタール、周囲2.0キロは海食崖である越前海岸の島の一つ『雄島』。

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  • 標高約495mの『小谷山』一帯の尾根筋や谷筋をそのまま活用し築かれた山城『小谷城』。

    『小谷城』の築城は、『淺井亮政』によって1516年とも1523年とも言われており、山頂に築かれた支城・大嶽とその南方に伸びる尾根筋に構えた本丸・大広間など、そして谷筋に構えられた淺井一族と家臣の屋敷などが『小谷山』に築かれました。

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  • 1587年に、若狭国を豊臣秀吉より与えられ小浜城8万石の城主となった『浅野長政』は、熊川の地を軍事と交通の重要拠点として認め、1589年に夫役・軍役や本年貢以外の租税を免除した『諸役免除』の判物を熊川の地に与えたことで宿場町として発展した『熊川宿』。

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  • 敦賀湾の最奥に面し長さ約1.5km・広さ40万平方メートル、アカマツ(約8000本)を優占にクロマツ(約5000本)など約17000本の樹木が生い茂り、『三保の松原(静岡)』・『虹の松原(佐賀)』と並び称される白砂青松の名勝『気比の松原』。

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  • 標高432mの『高森山』、木曽川から山頂までの高度差約170mの地に築かれた山城『苗木城』。

    鎌倉時代より美濃国恵那郡を中心に『遠山七家』(岩村・明知・苗木・飯羽間・串原・明照・安木)が治め、そのうち苗木の遠山氏が木曽川以北と加茂郡の東部を支配していました。