石川県北東部、日本海に突き出た能登半島の先端に位置し、奥能登の四市町の一つで、三方を海に囲まれた『珠洲市』。
鳥取県鳥取市の北部、日本海に面し、冬の強い季節風によって砂が幾度となく運ばれたことで形成された海岸砂丘である『鳥取砂丘』。
福井県北東部、夏でも雪が残るという白山の南西に位置し、九頭竜川の流れに沿った河岸段丘に市街地が形成された『勝山市』。
滋賀県甲賀市信楽町の北部、三方を山に囲まれた一面の田んぼの下に眠る、奈良時代に造営された幻の都である『紫香楽宮』。
静岡県静岡市と藤枝市の境、平安時代の歌物語である「伊勢物語」によって世に知られるようになった細道と五街道の一つである東海道が通る峠、そして峠の東麓には往来する人々にとっての休憩地だった集落が残る辺り一帯の『宇津ノ谷』。
滋賀県近江八幡市、日本最大の湖である琵琶湖の中央部東岸寄りに位置し、日本で唯一の淡水湖の有人島である『沖島』。
富山県北西部、萬葉三十六歌仙の一人である「大伴家持」が愛した越中の自然を有し、鋳物の産地として400年以上の歴史を持つ『高岡市』。
三重県伊勢市、伊勢神宮内宮の南方深く剣峠麓を源とする「五十鈴川」が河口に向け二手に分かれたことで生み出された三角州状の地であり、伊勢湾に面した海浜とその背後の常緑広葉樹が広がる丘陵地に「音無山」が連なったあたり一帯である『二見浦』。
愛知県新城市の「鳳来寺」への参道の片隅で、2匹のクロアゲハがひらひらと舞う彼岸花の小さな群生を見かけます。
日本の第26代天皇である「継体天皇」(在位507-531)が埋葬されたと考えられている陵墓が、大阪府の北部に2つあります。
日本海に面する福井県の若狭町と美浜町にまたがって5つの湖水群があり、総称として「三方五湖」と呼ばれています。
三方五湖の一つ、「水月湖」の湖底には厚さ約45mの泥の層に約7万年の歳月をかけて積み重なった縞模様の堆積物である「年縞」が形成されています。
伊勢神宮からおよそ15km離れた三重県明和町にある近鉄「斎宮駅」の北側に広がる地には、かつて「斎宮」と呼ばれた宮殿が建っていました。
優雅な光沢、しなやかでさらりとした肌触りの「絹」は最も古くからある繊維。古今東西、様々な文化を生み、運び、そして今も愛され続けている「絹」は、人類の宝物と言えるかもしれません。
山口県の中央部、美祢市に広がる「秋吉台」は日本最大のカルスト台地です。
カルスト台地とは、水に溶けやすい石灰岩などが雨水や土壌水・地下水などによって溶食されることによりできた周囲の低地に比べて盛り上がった平らな土地のことを言います。
長野県の南西部、町の中央部に木曽川が流れ面積の約94%を森林で占める南木曽町で川と道路に架かる大正期の木製吊橋に出会うことができます。
深緑の木々に囲まれ、来訪者に対して立ちはだかる大手門跡から真っ直ぐに山腹まで伸びるおよそ180メートル・道幅およそ6メートルの両側を堅固な石塁で築かれた「大手道」。
光によって生ずる「かげ」には、影・陰・蔭・翳などいくつかの語があります。漢字の「影」の成り立ちは、日の光を意味する「景」と模様を意味する「彡」であり、「影」そのものにも「光」の意味が含まれています。
1853年7月8日、2隻の蒸気船と2隻の帆船が江戸湾の入り口にある「浦賀」に姿を現しました。ペリーの来航は日本の歴史の大きな事件「黒船来航」として現代まで語られています。
愛知県蒲郡市の海岸から約400mに位置し標高は約22~24mで周囲約620~680mの三河湾に浮かぶ小島『竹島(愛知県)』。
絞り染めは、布を括ったり縫い縮めたり挟んだりして、縮まったその部分に染料が入らないようにして染める防染手法のことです。
織物や染色が発達していく過程で、絞り染めは多彩に変化発展を遂げていきました。